保険のロイズ・ビル

17世紀後半、イギリスに紹介された新しい飲み物、コーヒー。その人気のたかまりと共に、ロンドンのシティー内に、次々と店を開いていくコーヒー・ハウスの数々。1688年に、エドワード・ロイドが開いたコーヒー・ハウス、「ロイズ」(Lloyd’s)もそのひとつです。このロイズ・コーヒー・ハウスの開店が、保険市場として世界的に有名なロイズ・オブ・ロンドンの歴史の幕開けとなります。

海上保険なるものは、中世ロンドンの金融を牛耳っていたイタリアのロンバルディアの銀行家達がイギリスに導入したものとされます。海上保険以前の海外貿易は、それこそ、「ヴェニスの商人」の題材になるような、危なっかしいものであったでしょう。

エドワード・ロイドのコーヒー・ハウスが船長、船主、貿易商たちが集まり、航海の情報を交換、収集ができる場所として評判となると、やがては、ロイズで、適当な海上保険を探し、かける場所としても定着していきます。1713年のエドワード・ロイドの死後も、海洋国としての勢力を伸ばしていたイギリスにおける海上保険の重要性から、ロイズ・コーヒー・ハウスは、海と貿易関係の顧客とそれに関わる取引の場として、繁盛を続けます。世界初の新聞などと称されることもある、ロイズ・リストも発行され。

1771年には、新しい建物へ移るべく、79人の商人、船主、海上保険業者、ブローカーたちが集まり、資金を出し合うのですが、これが、ロイズが一人の経営者から複数の人間により管理経営される保険市場としての第1歩となります。1774年から、現在のバンク駅正面、イングランド銀行のむかいに位置する、ロイヤル・エクスチェンジ内に居を構え、19世紀後半より、海上のみならず、他の保険の取引も開始されます。

1928年には、新しくロイズ専門のビルが建築されます。ライム・ストリート1番にある、現在の、缶詰のようなロイズの建物は、リチャード・ロジャースにより設計、再建され1986年にオープン。(上の写真は現ロイズ・ビルの小型模型です。)

内部を広々としたオープンスペースとするために、エレベーター、トイレ、ごみ捨て、エアコン、下水管、電気回線の類を全て建物の外側に設置。コーヒー・ハウス時代も、ロイズは何度か場所を変えていますが、これは、ロイズの8番目の住処です。

これが、建物の外側にあるエレベーター。ちなみにエレベーターと言うのは米語で、イギリス英語では、リフト(lift)ですので、気をつけましょう。

広々したフロアーにでんと構えているのが、1928年の建物用に作られたマホガニー製のロストラム(The Rostrum 「演壇」の意)。内部に釣り下がる金色の鐘(Lutine Bell)は、18世紀に沈没した船に積んであったものを、海から回収したもので、かつては、重大なアナウンスメントががある時に、この鐘が打ち鳴らされました。悪いニュースは一回鳴らされ、良いニュースは二回。現在は、セレモニーや儀式の際に鳴らされるのみとなっているようです。

上の写真は、ロス・ブック。1774年から付けられている、沈没、難破、遭難した船の記録です。開いたページに書かれている船の名は・・・読めますか?最近ようやく引き揚げ作業が行われた、コスタ・コンコルディアです。伝統に従って、今でも、これを記帳する際は、羽ペンとインクでこりこりっと書くことになっています。以前に比べれば沈没する船の数もぐんと減ってはいるでしょうが。

上の写真は、アダム・ルームと呼ばれる部屋ですが、建物の他の部分とはうって変わった面持ちで、そのミスマッチが面白いです。プレゼンや、特別な晩餐が行われる部屋で、オリジナルのデザインは、18世紀の有名設計家ロバート・アダムによるもの。もともとは、ウィルトシャー州にあった貴族の館のダイニングルームであったものをロイズがオークションで競り落とし、1956年に、以前の建物に移動設置させ、再び、現在の建物が再建された際に、設置しなおした、というのですから、ご苦労様な話です。

上の階からの眺めはこんな感じ。これは、東方のカナリワーフの方角の眺めです。

ロイズが支払いを行った過去の惨事には、1906年のサンフランシスコ大震災、そしてもちろん1912年のタイタニック沈没。新しいところでは、ニューヨークのワールド・トレード・センター、そして2011年のニュージーランド、日本での震災。また、ロイズは、風変わりな保険でも知られていますが、その中には、コーヒー選定家の舌、ワイン選定家の鼻、ブルース・スプリングスティーンの声などが含まれてます。さて、優秀な頭脳や、絶世の美貌、美しい二の足を保険で守りたいあなた!ロイズ・オブ・ロンドンで保険を探しましょう!

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