コーヒー・ハウスへ行こう

紅茶の国イギリスなどと言われますが、時代さかのぼり17世紀、コーヒー、紅茶が海の向こうから初めて入ってきた頃は、この国もコーヒーが主流だったようです。巷では、コーヒー・ハウスなどと言うものが立ち始め、1700年までには、ロンドンに2000件以上のコーヒー・ハウスがあるほどの盛況ぶりに。

コーヒー・ハウスは男性のたまり場で、コーヒー1杯の値段で、当時高価だった新聞や本を読み、居合わせた人物とだべり、パイプをくゆらせ、火にあたりゆっくりできる。こういうところが人気になるのはいつの世もどこの国も同じでしょうか。本屋からは、本が売れなくなると、コーヒー・ハウスに対する苦情もあったようです。

初めは、誰でも(あまりにひどい格好をしていない限り)気軽に入ってのんびりできる場所だったようですが、そのうちに、コーヒー・ハウスによってそれぞれの色が出始める。ここは、文化人が通う店、これはサイエンティストが常連、こちらはウィッグ党の政治家たちのたまり場・・・と言う風に。これが後に、クラブと呼ばれる、同目的や趣味を持ったグループの集いへと発展しますが。好ましからぬ人物お断りと戸口に番人を置く店も出ます。

コーヒー・ハウスは、商売人が臨時オフィス代わりに使う商いの場所としても活躍。パブやタバーンなどで、酒を飲みながら商談すると眠くなるという難点がありますから、きりりと頭をシャープにするコーヒーを飲みながらの方が、仕事になったのでしょう。コーヒー・ハウスを郵便住所として使う個人や、商人もおり。株の売買、あらゆる物品のオークションなどもコーヒー・ハウスで盛んに行われたと言います。

今は保険で有名なロイズも、もとはエドワード・ロイドが経営し船貿易商のたまり場であったロイズ・コーヒー・ハウスが起源。船荷や船のオークションも行われたコーヒー・ハウスです。また、現在も貿易用船や飛行機のチャーターを司るバルティック・エクスチェンジも、かつてバルト海の船貿易に携わった商人で賑わったバルティック・コーヒー・ハウスから来ており、ロンドン・ストック・エクスチェンジも、もとは、株の売買が盛んに行われた、ジョナサンズ・コーヒーハウスが起源とされています。商売のみに限らず、ニュートンの万有引力の法則も、他のサイエンティストとのコーヒー・ハウスでの討論に端を発するという話もラジオで聞いた事があります。

イギリス東インド会社が、ほんの少量、中国から輸入し、高価だった紅茶。英国では、これが、やがて、徐々に、需要供給とも増えていき、最終的にはコーヒーを追い抜き、全ての階級の人間が、贅沢品というより必需品とみる大切な飲み物となり、大陸ヨーロッパのコーヒー文化と違った面持ちを見せる事になります。

最近では、街中にコーヒー・チェーン店が立ち並び、紅茶よりコーヒーが特に若い層には人気となっていっているようですが。

食習慣も時代の背景とトレンドと共に行きつ戻りつです。

コメント