ライム・レジスにて

...remarkable situation of the town, the principal street almost hurrying into the water,the walk to the Cobb, skirting round the pleasant little bay, which in the season, is animated with bathing machines and company; the Cobb itself, its old wonders and new improvements, with the very beautiful line of cliffs stretching out to the east of the town,are what the stranger's eye will seek; and a very strange stranger it must be, who does not see charms in the immediate environs of Lyme, to make him wish to know it better.

「Persuasion」 by Jane Austin

(ライム・レジスの)町のドラマチックな位置、目抜き通りが先を急ぐように海へと降りて行く様子、観光シーズン中は、行水用の小屋と人でにぎわう、魅力的な小さな湾を抱くような埠頭(コブ)までの散歩、古い部分と新しく改善された部分を含めた埠頭(コブ)そのもの、町の東側へと伸びる美しい崖の線・・・旅人の目は必然的に、そういったものを求めるのです。そして、ライム周辺の魅力に気づかず、もっと探索したいと思わない旅人がいるとしたら、それは、かなり風変わりな旅人であることでしょう。

ジェーン・オースティン「説得」より

ドーセット州西部海岸線に位置するライム・レジス(Lyme Regis)。時に単に、「Lyme ライム」とも呼ばれます。「Regis レジス」というのは、「王ゆかり」を意味し、「王様ゆかりのライム」という由緒正しそうな地名。

「レジス」を付けて名乗ってよろしい、と許可を与えたのは、エドワード1世の時であったそうです。にもかかわらず、イギリス内戦(清教徒戦争)の際には、圧倒的に、王様に反対する議会派の地であったそうなのです。また、チャールズ2世の私生児であったモンマス公が、チャールズ2世の弟、ジェームズ2世に対して王座を主張し起こした反乱、モンマスの反乱で、まず、上陸するのが、ここ、ライム。モンマスの反乱最後の戦いは、以前のサマセット・レベルズの記事に書いたよう、サマセット州セッジムーアとなります。

ライム・レジスは、16、17世紀に港町として最盛期を迎えますが、その後、豊かさは下降線を辿り、18世紀後半、海水浴というものが健康に良く、またファッショナブルなものとして人気となると、リゾートとして再生するのです。ですから、19世紀初頭、ジェーン・オースティンもここへやってくるわけです。

冒頭に引用した、ジェーン・オースティンの小説「説得」の描写の通り、この小さな町の通りは急下降で海へと降りて行き、ライム・レジスの象徴のような存在の埠頭「the Cobb ザ・コブ」に出くわすのです。私たちが、近くの駐車場に車をとめ、最初に訪れたのもここ、コブ。

なぜに、ライム・レジスの埠頭がコブと称されるかは定かでは無いようですが、13世紀半ばには、この場所に埠頭・防波堤の様なものが存在していたということ。この頃のものは、大型の石とオーク材で建設されていたようで、陸から隔離しており、歩いて行くという事はできなかったそうです。陸につなげて、ぐるっと湾を取り囲む形となったのは、1756年で、更に、1820年代に近郊のポートランドからの石(ポートランド・ストーン)を使って作り直され、現在の姿と成っています。

ちなみに、ジェーン・オースティンが、実際に、家族と共にライムを訪れたのは、1803年、1804年の事なので、彼女が見て、小説内で描写しているコブは、現在のものではなかったわけです。彼女が「説得」の中で書いている、コブの「古い部分と新しく改善された部分」というのは、コブの最先端に見れる、ごろごろ石の積み上げられている様子と、1757年に建設された物をさしているのでしょう。

コブの上は、波がひどい時に、水がすぐにはける様にでしょうか、やや西側に傾いています。更に、吹きさらしのコブの上を歩くのがお好みでない人のために、階段を降りた内側(東側)にも遊歩道が付いていて、湾をながめながらの散歩を、いささか風の強い日でも楽しむ事ができます。

「説得」の主人公アン・エリオットを含む一向は、季節はずれの11月のライムを1泊旅行で訪れ、翌日、コブの上を散歩中に、おてんば娘ルイーザが、コブから階段を使わずに、飛び降りるという無茶をし、倒れて脳震盪を起こし、大騒ぎとなるのです。

また、「説得」では、コブの途中にある数件の小さな家のひとつに、アンの恋の対象であるウェントワースの友人が住んでいる設定になっています。

この他、ライムのコブというと、すぐ頭に浮かぶのは、映画「フランス軍中尉の女」(the French Lieutenant's Woman)からのシーン。ライム・レジスに住んでいた作家ジョン・ファウルズ(John Fowles)による小説を、ハロルド・ピンターの脚本により、映画化したものです。愛人であったフランス人の兵士に捨てられ、もどらぬ彼を思い、いつもライム・レジスのコブの上、海を見つめて立ち続ける、という町の噂の「落ちた女」、人呼んで「フランス軍中尉の女」が、メリル・ストリープでした。水しぶき飛び、強風の中、コブの先端で、黒いマントをかぶって海を見つめる彼女のミステリアスな姿に、ジェレミー・アイアンズ扮する紳士が、心ならずも、惹かれてしまうのですね~、婚約したばかりの身でありながら。実際、大嵐の中、このコブの上にじっと立つのは至難の業で、かなり危ない行為です。

映画では、この物語の複線として、それぞれの役を演じる主演俳優二人が、実際恋に落ちてしまい、ロケ中に不倫をするというもの。この二つの恋愛が、それぞれ交互に描かれています。ライムまでわざわざ出かけずに、コブ体験をしたい人には、やはり一番のお勧め映画です、「フランス軍中尉の女」は。ライム・レジス博物館の土産物屋でも、このDVD売っていましたから!

「説得」(Persuasion)も当然、映像化されていますが、BBCがテレビ映像化し、その後、アメリカで劇場公開されたという、1995年のロジャー・ミッチェル監督によるものが見る価値アリです。わりとジェイン・オースティンの原作に忠実に劇化されていて、特に主人公のアンとウェントワースが二人とも、妙に浮世離れした美男美女でなく、普通の人っぽいのが良いのです。アンは、小説の設定では、行き遅れになりかかっている年ですから、あまり見た目がきらきら魅力的過ぎると、嘘っぽくなりますもの。ライムを去った後のアンは、当時おしゃれな町として賑わったバースへと赴くので、バースの雰囲気もちらっと楽しめます。

コブの上で、だんなと私は、それぞれ入れ替わり、メリル・ストリープのポーズで写真を撮った後は、湾岸を沿って東へ歩き、いわゆるジュラシック・コーストの一部を眺める散歩へ繰り出しました。

デボン州とドーセット州をまたにかけた海岸線155キロは、ジュラシック・コースト(Jurrassic Coast)と称される世界遺産。海岸線の崖は、その名の通り、ジュラ期の地層などを含み、アンモナイトをはじめとする化石が発掘されてきたことで有名です。「フランス軍中尉の女」のジェレミー・アイアンズ扮する紳士も、崖を歩き回って化石を収集していましたものね。

海岸線のずっと先には、ジュラシック・コーストの最標高地点、とんがり頭のゴールデン・キャップも見ることが出来ました。

海岸線を化石をもとめて歩き回るのに最高な時は、嵐の直後、などと言います。崖の一部分が風雨にやられて、新しく露出され、今まで見えなかったものがむき出しになっているチャンスが多いのです。当然、崖がもろくなっている事も多いときであるため、嵐の直後に、発掘にでかけ、土砂に埋もれて死亡した人などもいるようですが。

過去の、イギリスの化石ハンターたちの中でも、最も名高いのが、イギリスでイクチオサウルスを最初に発見した、地元ライム・レジス出身のメアリー・アニング(Mary Anning)。

彼女が生まれた家は、今は、ライム・レジス博物館になっています。この家の前で、彼女は集めてきたアンモナイトなどの小さな化石を売り、イギリスの早口言葉である
She sells sea-shells on the sea shore...(彼女は浜辺で貝殻を売る・・・)
のもととなるのです。

彼女もやはり、嵐の直後に、大物を求めて海岸をさまよい、一度は大きな土砂崩れに巻き込まれ、愛犬は、その際に死亡。自分も、寸でのところで命を失うという経験もしています。

今でも、あちらこちらにアンモナイトなどを売っている店が軒を並べていますが、現在、ライムで発見されたアンモナイトは、どのくらいあるのでしょう。他から探して持ってきたものを売っている感じでした。

海岸沿いの街灯は、アンモナイトを模してあってちょっとお洒落です。

実際に、化石を探す体験したい人には、海岸線を歩いての化石ハントツアーなどに参加できるようです。博物館で、「興味があったら、あと30分くらいで出る」と言われたのですが、今回はパスしました。また、本当に何かを発見したかったら、ジュラシック・コースト内でも、もう少々、静かで人気のいない場所の方が確立は高いかもしれません。

「説得」によると、11月のライムは、すでに観光で滞在する人々は去り、街中には地元民しか残っていないような描写があったのですが、10月初頭のライムには、まだ、人が思ったより、ずっと沢山いました。当初は、ライムに宿を探すつもりでいたのが、夕刻にたどり着き、ささっと通りを見て回ったところ、空きの看板を出している宿が眼に入らず、また、海岸線も日暮れ近くというのに人が沢山いたので、静けさを求めて、宿は、少し離れたデボン州の小さな村で探し当てました。よって、ここの観光は、翌朝一番に出直しました。ライム・レジスは、小さいながらも、ジェーン・オースティンの時代より更に人気の観光地です。

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