バンケティング・ハウス

ロンドンのホワイトホールは、現在は、南は国会議事堂と、北はネルソン提督の像がそそり立つトラファルガー広場を結ぶ官庁街の名ですが、元は、この場に存在した宮殿の名称でした。Whitehall Palace(ホワイトホール宮殿_は、ヘンリー8世の時代の1530年からウィリアム3世までの歴代の王、女王の主なる居住地及び、公式行事の場となります。

名誉革命で王座についたオランダ人ウィリアム3世は、喘息もちで、テムズ川沿いに住むのを好まず、ケンジントン宮殿を購入し、やがてはそこに居を構えます。その後、ホワイトホール宮殿は、ウィリアム3世の治世中、1698年に起こった火災で焼失。この火災で、ホワイトホール宮殿内、唯一生き延びた建物が、このバンケティング・ハウスです。

バンケティング・ハウスは、子孫を残さなかったエリザベス1世の死後、イングランド王座に付いた、スチュワート王朝ジェームス1世(在位1603-1625年)の依頼で、1622年に、著名建築家イニゴー・ジョーンズにより、仮面劇などの、宮廷の余興を催す場として、設計、完成。


上の写真は、大広間の、有名なピーター・ポール・ルーベンスによる天井画。

フランダース出身の巨匠ルーベンスは、外交官としても活躍。1629年、外交でロンドンを訪問の際、時の王であったチャールズ1世(在位1625-1649年)により、父親ジェームズ1世とスチュワート王朝の栄光を讃えたこの絵を依頼されます。巨大なキャンパスに描かれたこの絵は、アントワープのルーベンスのスタジオで、1630年から34年にかけて作成され、1635年にロンドンへ送られ、翌年、めでたく、バンケティング・ハウスの天井に設置。

この天井画の設置後は、松明の明かりを照らして行われた仮面劇などの余興は、煙により、天井画を損傷する恐れがあるため、他の場所で行われることとなり、大広間は、もっぱら外交のレセプションの場となります。

ルーベンスの絵と共に、この建物が有名なのは、チャールズ1世の処刑がここで行われた事。王様の神々しさを讃える絵と、王様の首を切った場所が同じところというのも、皮肉なものです。

清教徒革命により、オリバー・クロムウェル率いる議会軍に破れ、チャールズ1世は謀反人として斬首の刑の判決を下され、バンケティング・ハウスの直ぐ外に断頭台が組まれます。

処刑は、1649年の1月30日。チャールズは、寒さに震えると、恐怖のために震えていると思われるのを避けるため、シャツを2枚着て処刑に臨みます。どうしょうも無い様な王様が、最後は、立派に死を迎える、という話は、いくつかありますが、チャールズもそうだったと言います。斧が振り落とされた直後、見物人はいっせいにおののきの声をあげた、という当時の人間の手記が残っているそうですが、まだ、王様は、神によって選ばれたと信じられていた時代、「え、本当に王様処刑しちゃったよ!いいのかよ!」という感じでしょうか。フランス革命の裁判後、ルイ16世と、マリー・アントワネットが首をなくす100年以上前の話です。

クロムウェルの死後、短い共和制が終わり、瞬く間に王政復古。亡命していたチャールズ1世の息子が、チャールズ2世として、1660年にロンドンに戻った際、この大広間で、議会は新王への忠誠を誓います。チャールズを処刑して、王様を取り除いたものの、蓋を開けてみれば、クロムウェルも事実上は王の様な存在となる上、共和政時代は、厳格な清教徒の下で、クリスマスは廃止され、踊りや劇も違法。楽しい事を全部取り上げられてしまい、国民は、あまりに堅苦しく息苦しい生活がつまらなくなって、「こんなことなら」と、王様に戻ってきて欲しくなってしまったのでしょう。

王様の栄光と惨劇を見たバンケティング・ハウスは一般公開されています(要入場料)。
Banqueting House オフィシャル・サイト

話変わって、家のセントラルヒーティングとお湯用のボイラーが壊れてしまい、修理待ちです。小さな我家でも、冬は、暖房が無いと寒いのに、昔、こんな屋根の高い、大きな宮殿に住んでいたら、きらびやかではあっても、寒かったでしょう。大きな暖炉でぼんぼん火は燃したのでしょうが、それもまた、火災の危険ありで、ホワイトホール宮殿を含む、ロンドンの多くの建物が焼失しているのも、そのせいか。

コメント

  1. まだ寒いのにボイラーの故障は大変ですね。近くだと駆けつけるのに、といっても自信がありません。イギリスのボイラーは日本のとたぶん違う仕組みなのでしょうね。

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  2. こんばんは
    ピューリタン革命についてのお話、大変興味深く読ませていただきました。国王の処刑を断行するとはピューリタン勢力には驚きです。現在もイギリスではピュリタンとい呼ばれる人たちは多いのですか?
    日本も「火事と喧嘩は江戸の花」なんて言いますから、火事は都市にはつきものだったのでしょうね。ボイラー早く直るといいですね。

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  3. アネモネさん、ボイラー修理終わりました。
    エンジニアが来て、部品(プレッシャー・センサーとかいうの)を交換して、修理自体は10分くらい。お茶飲んで帰って行きました。1年とちょっとと新しく、保障期間中なので無料。エンジニアは、「最近のものは長持ちしないからね。」だそうです。それでも、このドイツ製のボイラーは、最近のボイラーの中ではかなり品質良いそうです。良いメカはドイツ製ですね、やっぱり。

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  4. せつこさん、
    王の処刑を進めたのは、ピューリタンの中でも強硬派の一味で、国民の間では非常に不人気な処刑だったようです。お祭り騒ぎもできなくなり、王政復古でチャールズ2世が戻ってきた時は、ほっとした一般人もかなりいたのでしょう。
    ピューリタンにとって、イギリス国教会はプロテスタントというには、あまりにカソリックに近いものがあると思えたようです。現在、プロテスタントで、イギリス国教会より厳格な宗派、いくつかあるようですが、それぞれ異なる名称で呼ばれ、ピューリタンという名称は、歴史の話以外では、今はあまり聞かない気がします。

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