たのしい川べ

子供時代、近くの図書館で借りてきた、ケネス・グレアム作のWind in the Willows(直訳は、「柳そよぐ風」)というイギリス児童文学を読んで、すっかり気に入ってしまい、おこずかいを貯めて買い、大切にしていました。日本題は、「たのしい川べ(ヒキガエルの冒険)」。名目上は子供の本と言う事で、こういう題名になったのでしょうが、夏の日の川辺の雰囲気をかもしだす原題の方が素敵ですね。

地下の自宅で春のおおそうじをしていたモグラが、春の気配に誘われて、ペンキのはけを投げ出し、外へ飛び出すのが物語のはじまり。野原を駆け抜け、行き当たったのが、光り輝く小川。生まれて始めて遭遇した川に見とれているモグラは、そこで、川ねずみと出会い、ポート遊びとピクニックに誘われます。すっかり川に魅了され、モグラは、そのまま自分の家には帰らず、ねずみと川べりの共同生活を始める。

「モグラは目が無いから、そんな景色など見えやしないわい」、と夢の無い事は言いっこなしです。時折、後に残してきた、自分の昔の暖かく居心地の良い家への強い郷愁に駆られながらも、新しい世界での生活を楽しむモグラに、今の自分を重ねてみたりもします。


この本の中での、イギリスの川辺の風景描写には、子供心に憧れたものです。今でも、川でボート漕ぎをする時は、初めてモグラがねずみのボートに乗って経験したのと同じような、幸せ気分にひたります。

ピクニックという心躍る言葉を聞いて、必ず頭に浮かぶのも、この2匹が、川辺に陣取り、ピクニック籠の中から、次から次へと、ご馳走を取り出し、並べる様子。ピクニックはもともとは、客が飲食物を持ち寄る室内での軽食を指した言葉だったそうですが、自然の美しさを賞賛する風潮と共に、戸外での食事へと移行したといいます。

書かれたのは、1908年ですので、すでに100年経過。いまだに良く話の種に取り上げられる作品で、この物語のキャラクターを例にとって書かれた政治コラムなども見かけた事があります。児童文学であっても、古典としての座を確保しているのでしょう。

物語の主な登場人物・・・もとへ、登場動物は、上記の川ねずみとモグラの他、大豪邸に住む金持ちでお人よし、けれど自制心の無いヒキガエル、森の奥に住み、他の動物から恐れられながらも、心優しく問題解決能力に満ちたアナグマ。この4匹の愉快な友情と、放蕩のヒキガエルを巻き込む事件を追って話は展開します。

熱しやすくさめやすいヒキガエルが、趣味でボート漕ぎを始めたもののすぐやめ、次は馬にキャラバンを引かせたジプシーの様な旅に夢中になり、ついには、その途中で出くわした新しい乗り物、車、にいかれて、カーきちになる過程も、戸外の活動やスポーツが非常に盛んになったと言うエドワード朝を反映していて面白いです。後に消えていく運命の蒸気機関車や、馬に引かれて運河を行く小船の描写にもレトロを感じます。

前半は、主に、地下の自分の家を去ったモグラの、川ネズミとの新しい生活のスケッチ。後半は、カー狂となったヒキガエルが、他人の車を暴走した結果、投獄され、牢屋にいる間に、ヒキガエル屋敷は、森の暴れ者たちである、イタチやテンに乗っ取られてしまうというもの。洗濯ばあさんに身をやつして、牢屋から抜け出したヒキガエルと、3匹の友達が、最終的に、ヒキガエル屋敷から、悪者たちをたたき出して、ヒキガエルは、友人たちの尽力で、大きな館の主にふさわしい、もっと抑制心のある動物に変わる・・・。

なんでも、この動物たちは、当時のイギリスの階級社会を表しているという説もあり、地下に住んでいるモグラとアナグマは労働階級。川ネズミは中流階級。ヒキガエルは上流階級。素質はあるものの、文化の素養のなかったモグラが、中流階級の川ネズミによって新しいものを紹介され、洗練、教育され、中流となっていく。また、アナグマは、どっしりと信頼できる性格ではあるものの、他者との関りを好まず、友達以外の交流を進んで行わない、そして、金持ちヒキガエルはお人好しであるが、上記の通り、自制力がなく、いい加減・・・、要は、バランスがとれた中流階級が一番、のような話にも読めるのだとか。

初めて出版された直後の書評は、否定的なものが多かったという話ですが、米大統領セオドア・ルーズベルトが、この本を大変気に入り、何度も読み、米の出版社に出版させ、以来、人気上昇した、という逸話があります。

この物語をこよなく愛した他の人物は、「くまのプーさん」作家、A.A.ミルン。彼は、これを元に、ヒキガエルの冒険談を中心にした、Toad of Toad Hall(ヒキガエル屋敷のヒキガエル)という戯曲を書いて、舞台化しています。初版はイラストの入らない、文字だけのものだったと言いますが、後、数人のイラストレーターによる、違う版が発表されています。やはり、「くまのプーさん」でおなじみのイラストレーター、E.H.シェパード氏の挿絵入りのものが一番有名です。

また、日本の木馬座で、「バッハッハーイ」とやっていたカエルのケロヨンも、なんとこの物語のヒキガエルがモデルなのだそうです。

さて、作者のケネス・グレアムですが、彼は、物語のかもし出すイメージとは裏腹に、ヒステリーな妻と結婚してしまった恐妻家で、いささか不運な人生を送った人です。数冊の本を出版しているものの、この本を世に出すまでは、イングランド銀行でお役所マンとして勤務。1903年には、銀行内に入り込んできた、半狂乱の社会主義者に銃を向けられ、3回発砲される、という事件にも巻き込まれ、怪我こそ負わなかったものの、かなりの精神ショックを受けた模様で、この事件が、1908年に、グレアムが、イングランド銀行から早期退職をした理由のひとつとも言われています。また、彼の一人息子は、片目が見えずに生まれ、両親に大幅に甘やかされ、性格のバランスがくずれた若者として育ち、ヒキガエルの、時に奇妙な行動は、この息子の行動がモデルになっているという事。息子は、オックスフォード大在籍中に、列車の前に寝転んで自殺。「たのしい川辺」は、ケネス・グレアムが、幼い息子に聞かせていたお話をまとめたものだというのに、実生活は、ハッピーエンドとはほど遠い結果となったわけです。余計、彼にとっては、川辺で、柳を揺らす風を聞きながら、現実世界を忘れ、しばし精神ワープをする時間が、貴重なものだったのかもしれません。なお、グレアムのおっかない奥さんは、彼の下着も洗濯してくれず、そのため、グレアムは、パンツを一年に1,2回しか履き替えなかったという、情けない逸話も伝えられています。

*エドワード朝*
エドワード7世(在位1901~1910年)は、母親、ヴィクトリア女王からは、出来の悪い放蕩息子と思われていたようですが、蓋を開けてみると、外交手段に優れた、人気の王様となりました。皇太子時代からの、ダンディーなスポーツマンぶりが、在位は短かったものの、時代の文化に影響を与えたようです。

コメント

  1. まだ読んでいないのですが、Richieがこの本のことを話していました。
    自分のことを中に出てくる ’ひきがえる’みたいな性格だと。
    読んだら間違いなく似ていると思うに違いないと言うので今日注文しました。

    私は’Three Men in a Boat’という本が好きです。
    特にMontmorencyという犬が気に入っています。

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  2. きっと、楽しく読まれると思います。ひきがえるは、貴族のお坊ちゃま君。Richie氏もお育ちいいのかもしれないです。

    Three Men in a Boatは、持ってはいるのですが、読んでないです・・・。以前、3人の有名人が、同じ場所をボートで旅する番組がありました。

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  3. 手に入れた本はダイジェスト版だったのですが、面白かったです。
    確かにRichieはMr.Toadかも。
    お金持ちには見えないのですが、饒舌でスノッブ。
    そういえば、子供の頃の一時期、とても大きな屋敷に住んだことがあると言っていました。ケント州のおばさまの家だったそうですが、その方は死後全財産を動物愛護のために寄付したそうです。

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  4. この本の中で、最初の川でボート漕ぎとピクニックシーンの他、私が好きなのは、モグラがクリスマスにふと自分の昔の家のにおいを嗅いで、ねずみと久々に訪れる章でした。子供の時読んで、泣けたのを覚えてます。

    動物好きな人多いですが、ケントのおばさん、Mr.Toadにも少し残してあげれば良かったのに・・・。

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